「朝鮮通信使」から学ぶ

11月17日の日曜日の朝方は生憎の雨だった。私は日課にしている漢江沿いのウォーキングが雨のため出来ず、何気なしに見ていたNHKテレビで日韓外交史における新事実を知ることが出来た。
今年は「2002年韓日国民交流の年」でこれまでワールドカップをはじめ800件に及ぶ数多くのイベントが両国で開催されている。そしてこの日、これを締めくくる最大のイベント「2002年韓日市民交流フェスティバル−朝鮮通信使の道」が行われ、日本千葉県幕張展示場から生中継でNHK放送されたのだ。朝鮮が17世紀から19世紀まで12回にわたり日本に派遣した「朝鮮通信使」を再現し、両国の交流を一層深めようという趣旨のこのイベントはまさに「2002年韓日国民交流の年」を締めくくるに相応しい最大のものであった。
朝鮮通信使一行40余人は400年前と同じ色あでやかな出で立ちで9月14日にソウルを出発、釜山、対馬、下関、琵琶湖、静岡など過って通った道順をたどり2ヶ月かけて千葉県(当時は江戸)に到着し、当時の面影を残す威風堂々の正使によって金大中大統領からの信書が厳かに小泉純一郎首相に届けられた。
残念ながら朝鮮通信使の歴史については、韓国はともかく日本では余り詳しくは教えてないし、また知られていない。私はこのテレビ番組を見ることによって偶然に新しい事実を知ることができ深い感動をおぼえた。
朝鮮通信使は1607年にスタートしたと言う。これは豊臣秀吉の朝鮮出兵9年後、徳川幕府開幕4年後である。この動乱の時期に何故このような日韓外交が実現したのだろうと不思議に思ったが謎はすぐ解けた。この実現の立役者は対馬藩主・宗義智とされている。宗義智は稲作の出来ない不毛の対馬は朝鮮との貿易が不可欠との思いから、将軍・徳川家康に建議したところ天下統一直後に争いを起こしたくないと言う願いと、権力基盤確立のため各藩主に海外との信頼を誇示したいと言う徳川家康の思いとが絡まり実現したと日本の歴史は教えている。一方、韓国側は朝鮮李王朝が文禄慶長の役(壬辰倭乱)で豊臣秀吉に国内侵略され、そして日本に連れていかれた5万から7万人とも言われる捕虜の刷還のために刷還使として送り込んだと記されているようだ。「歴史は権力者が作り、塗り替える」と言われる通りここでも両国の言い分は異なっている。しかし私は文禄慶長の役(壬辰倭乱)で多大な被害を蒙った朝鮮李王朝がそれでも「文を以って武に報いる」と言う精神で刷還使を送り込んだとされる対応に深い感銘を受けた。
当初は捕虜の刷還のための刷還使としての役割を持った朝鮮通信使も3、4回目位の派遣から文化外交の意味合いが強くなったようである。朝鮮通信使は500人から1000人に及ぶ大デリゲーションで一行には儒学者や医者、画家、小童(役者)なども含まれていたと言う。まさに「文を以って武に報いる」と言う精神の現れであろう。当時の「わび」、「さび」などを重んずるものの哀れの日本文化に大陸的で、陽気な文化を持ち込んだのである。通りすがりの各地に今でも堤人形や三春張子人形など通信使を形どった色あでやかな人形や岡山県牛窓町に残る唐子踊りなど数多くの有形、無形の大陸文化の影響を垣間見ることが出来る。また儒学の後進国であった日本は各地から儒学者が通信使の一行の朝鮮儒学者に教えを乞いに押し寄せたそうだ。一行の宿舎となった各地の寺には当時の儒学者が書した漢詩や高麗青磁などがひっそりと残されている。高名な儒学者・申維翰から多くの教えを得た儒学者・雨森芳洲の誕生の地・滋賀県高月町では今でも子供たちが伝統的に小、中学生の頃からサムルノリを練習して町内祭りには活躍しているそうだ。当然ながら食文化にも影響を与えている。日本の海苔巻すしはキンハブが原点のようだし、韓国のチャプチェは対馬から持ち帰った日本の薩摩芋が原点のようである。対馬には雨森芳洲の墓をはじめ遺跡、遺物が数多く残されているが、芳洲は藩主・宗義智に「誠信交燐」と言う精神で朝鮮通信使を迎えることを説いたと言う。即ち「互いに欺かず、争わず、真実を持って交わる」精神である―この先人の教えは今でも正しく、国際外交の基本精神であろう。
金大中大統領は趙世衡駐日韓国大使を通じて「両国が最も信頼し尊敬する隣国として、未来に向けて前進しよう」という祝賀メッセージを伝えた。 これに対し小泉純一郎首相は茂木敏充外務副大臣を通じて「ワールドカップ(W杯)共催の成功を土台に地域、市民の交流を一層拡大しよう」と応えた。日韓両国は98年の「日韓パートナーシップ宣言」をもとに新しい両国友好親善の歩を着実に進めている。もう後戻りは出来ない。
この壮大で、感動的なイベントを見ながら私は「国益は対立しても文化は対立しない」と言うことを学んだ。そしてこの精神を生かして我が社のモットーである「強い、面白い、優しい会社」 作りをさらに推進し他社の範となり、日韓両国友好親善に貢献したいと意を強くした。

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