浅川巧の75回忌に出席した。ソウル郊外の忘憂里(マンウリ)という小高い丘にお墓がある。浅川巧。なんせんちょうむ。

彼は「日帝時代」(日本植民地時代)の朝鮮の林業試験場で働き、休日は窯跡を歩き韓国の陶芸を紹介した人である。特に白磁を好み「朝鮮陶磁名考」という本を残したが、1931年に40歳で急逝した。朝鮮の人々に最も愛された日本人と言われている。当時は植民地時代にもかかわらず、お葬式には朝鮮の人が群れをなして集まったという。

日本の民芸運動の父に柳宗悦がいるが、彼がもっとも尊敬していたのが浅川巧であることも知った。この時代に自然体で生きることは容易ではなかったはずだが、それができた彼には人間の大きさを感じる。韓国に興味のある人は伝記必読と思う。感動します。

【ソウル生活を始めたばかりの筆者が、日々の生活で出会う“韓国の不思議”を写真とエッセイで切り取ります。
The Daily NNA韓国版に連載中

戻る