高麗青磁


shot 5


   陶芸の里、利川(京畿道)にある高麗青磁の有名な作家である方徹柱先生の窯元を訪れたことがある。

   彼は韓国中を歩きまわり、本来の翡色という美しいブルーを出すために釉薬(ゆうやく)と土を研究した苦労話を語ってくれた。

彼の工房には何百もの青磁の作品が展示してあった。とても寒い日で暖房も十分に効いていなかったが、ひんやりした空間で夢のように美しい彼の作品をながめとても幸せな気分だったことを覚えている。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
  韓国の陶磁器は、高麗が建てられた10世紀初めから発展を遂げた。新羅が3国を統一した7世紀ごろから鉛釉系施釉陶器や灰釉系硬質施釉陶器などが作られていた。このような伝統が高麗磁器出現の基盤となったのは言うまでもない。
  中国陶磁器の影響も多大に受けている。青磁の誕生は、宝石(玉)を追求する中国人の欲望に関連している。玉は君子を象徴し、富貴と来世を約束する信仰的な意味を持つ。そのため、多くの人々が玉を手に入れたがったのだが、とても高価なものだった。そこで、陶工たちは土で玉を作る ことはできないだろうかと考え、青磁を作り出したのである。
  高麗の磁器は中国の製造技術を導入することによって、より一層発展することになった。瞬く間に中国をしのぐ独創的なものを作ることができるようになる。最初のうちは、青磁は表面が均一でなく緑がかった茶色になってしまう部分が多く見られたが、改良され11~12世紀に全盛期を迎えた。翡色青磁や純青磁と呼ばれる高麗青磁は世界最高レベルの芸術品で、その色彩からは静かな池を見下ろしたような神秘を感じられる。

 



中国においてもこの色は高麗秘色と呼ばれ、最高であるとたたえられていた。これにより、高麗磁器といえば、青磁を連想させるのが普通となった。
  高麗青磁を代表するのは、象嵌(ぞうがん)青磁だ。象嵌は螺鈿(らでん)漆器と金属工芸で使用されていた技法を高麗磁器に独創的に応用した ものだ。象嵌技術を導入することによって、高麗磁器の釉(うわぐすり)は薄くなり、文様を鮮明に出すことができるようになった。象嵌の文様は蓮唐草、牡丹唐草、雲鶴など多様で、徳利や水注、香炉、花瓶、皿によくみられる。
  高麗青磁は主に西南の海岸側にあった窯元で作られていた。全羅南道の康津と全羅北道の扶安が青磁の主な産地として有名だが、扶安では青磁だ けでなく白磁も多く生産された。これらの窯元で生産された青磁は良質であるとして、高麗の首都であった開城の王族や貴族が主に使っていた。白磁も同時代に作られたものだが、その数は少なく、現存するものも多くない。