花郎


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  鄭先生と歴史の現場を巡る旅に出た時、ある石碑に出会った。花郎の五戒を記した碑である。花郎はエリート青少年からなる新羅の武士団だったと言われているが実態に関しては謎も多い。武士でありながら遊楽を通じて精神的・肉体的修養もするため、日本の武士道と比較されて論じられることもあるようだ。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
  花郎徒は新羅の青少年の心身修練の組織である。王と貴族の子息で構成されている。史科では郎花、風流徒、図仙徒、風月徒、源花徒とも言う。
  朝鮮半島固有の思想と道教、仏教、儒教などがじった理念に従い、心身の修練を行った。国家レベルで組織したり、結成を支援した。
  花郎はおそらく指導者を意味し、所属の若者は郎徒と言われた。6世紀半ばに出現。花郎が導く1編隊には3~8人の郎徒がおり、全国には数千の門徒があった。花郎徒の全国の指導者は国仙、源花、花主と呼ばれた。
  花郎徒は世俗5戒を生活の信条として守った。◇忠を持って君に仕える◇戦争に臨むと退かず◇生き物を殺すには分別がいる◇信頼をもって友と交流する◇

 



孝をもって親に仕える――ということを誓った。高句麗などの国にもこれと類似した組織があった。
  史料には次のような記録がある。「群れを選び、彼らに孝悌と忠信を教え、国を治める大要にした」(三国遺事)。「初めは君臣が人材を知らないことを遺憾に思って、群れをつくって遊ばせて、彼らの行動と実力を見て登用した」(三国史記)。「お互いに道義を磨き、歌楽を楽しみ、名山と大川を求め、これによって彼らの中にも良し悪しがあることを知り、良いものを 朝廷に推した。賢佐(賢相)と忠信は、彼らから浮かび、良将と勇卒も彼らから出た」(三国史記)。
  花郎は後代になるにつれ、巫女(みこ)などを指す卑俗語になった。