高麗美術館


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  京都の北のはずれにある高麗美術館という小さな美術館を訪ねた。

鄭詔文(チョン・ジョムン)という人が日本で集めた高麗、朝鮮時代の民族工芸品の名品が展示されている。

司馬遼太郎、金達寿(キム・ダルス)、上田正昭といった著名な文化人がこの美術館の設立を支援した。

居心地のいい落ち着いた美術館だと思う。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   京都の北東、加茂川のそばにあるこの美術館は、在日韓国・朝鮮人である鄭詔文(1918~89年)が寄贈した建物と遺物で1988年10月25日に開館した。彼の自宅を改造し博物館とし、高麗・朝鮮の美術工芸品を展示している。主な所蔵品は◇白磁壺(17世紀末~18世紀初頭)◇青磁象嵌菊花寶箱唐草紋高杯(13世紀)◇金銅八角舍利盒(1323年)◇権敦仁(クォン・ドニン)と金正喜(キム・ジョンヒ)の絵画と書(19世紀)◇花刻三層藏(19世紀)◇白磁青華胡蝶紋(19世紀)◇青磁象嵌牡丹紋扁瓶(13世紀初頭)◇螺鈿長生文盤(19世紀後半)◇白磁鉄画魚文壺(朝鮮時代)――などがある。
  鄭詔文は独立運動の末、没落した父ととも に1925年に京都に移る。母は織物を習い、彼は西陣の機屋で奉公しながら育った。その後、労働者として転々と働いた後、パチンコ屋を経営しながら財を成すことになる。49年のある日、彼は京阪三条駅の南にある骨董店のウインドーに飾られている白磁の壺に魅せられた。驚くほど高価なものではあったが、彼は月賦で購

 



入。母や祖母が着ていたチマチョゴリのように親しみを感じられた。この白磁が自らの故郷である朝鮮と移住してきた日本をつなぐシンボルであると考えた。
  彼は日本で取り引きされている朝鮮の美術工芸品を手当たり次第に収集した。約2,000点を収集する過程で、審美眼、知識も深くなっていった。彼は作家である兄とともに「日本のなかの朝鮮文化」という雑誌(69 年3 月から81 年10 月まで全50 号)を刊行した。著名文化人である司馬遼太郎、金達寿、上田正昭などが後押しした。
  彼は在日韓国・朝鮮人の心へ絶望の叫びではなく、喜びの声を聞かせるために高麗美術館を建てた。「高麗」という名前をつけたのは、南北のどちらにも偏らず、民族の心を表現することができると思ったからだという。今日、日本では「韓流」の波が押し寄せているが、その元祖は鄭詔文ではないだろうか。