二つの像


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   京都の広隆寺に日本の国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像があると聞き、見に行った。この仏像とウリ二つの仏像がソウルの国立中央博物館にある。この二つの仏像がいにしえの新羅か百済(両説あり)で並んだことがあったのかどうかはわからないが、そう想像すると楽しい。この二つの仏像にはどういう秘密が隠されているのだろうか。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   京都の広隆寺にある宝冠弥勒菩薩半跏思惟像は、603年に聖徳太子が百済から贈られたなどの説がある仏像だ。聖徳太子は、京都を開拓した新羅系の渡来人、秦河勝(はた・かわかず)にこの仏像を与えた。秦はこの仏像を本尊として聖徳太子が亡くなった622年に、菩薩寺として広隆寺を建立。新羅に対しても数多くの仏像や仏具を贈った。仏教を開き、文化を向上させ、また民衆を和合しようとしていた聖徳太子。渡来人たちは自分たちのできる限り、聖徳太子の力になりたいと願っていた。
   日本の国宝1 号として指定された宝冠弥勒菩薩半跏思惟像は、韓国の国立中央博物館に収蔵されている金銅弥勒菩薩半跏思惟像に酷似している。そこで、誰がこの仏像を作ったのかをめぐって百済説、新羅説、日本説などさまざまだが、百済で作られ日本に送られたか、日本に住んでいた渡来人が作った可能性
 



が高いというのが通説だ。二つの仏像は当時の朝鮮半島と日本列島の間で人の往来、文化の交流、特に、朝鮮半島をルーツとする人々の文化が古来日本の国家建設や文化の発展にどれほど大きな影響を与えたかということを証明している。
   二つの仏像の目、はっきりとした眉毛、額からすっと伸びる鼻。これ以上にないほどの美しさを持ち合わせている。口元には若干の力が入ってい るため、うっすらと笑みを浮かべているようにも見える。両手からは優雅さがあふれ、右手の曲線の美しさはこの上ない。両足にまとった衣は台座から流れ落ちる。上半身の簡素さとは違い、とても複雑に、そして華麗に表現されている。これほど人間的でありながらも神秘的に純化された仏の姿は、そう簡単に巡り合えるものではない。