高野新笠


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   2002年の日韓共同開催のサッカー・ワールドカップ(W杯)のころ、天皇陛下が誕生日に「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫と続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じます」と発言し、韓国では大きな話題になった。
   その桓武天皇の生母は高野新笠という人で京都のはずれに御陵があると聞き訪ねてみた。宮内庁の立て札があった。どんな人だったのか鄭先生に聞いてみたい。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   高野新笠は光仁天皇の側室であり、桓武天皇の生母として789年12月に死亡したと言われる。高野新笠は百済慶渡来人である和乙継と地方豪族の娘である土師真妹の間に誕生した。和氏は770~780年ごろ、高野朝臣という姓に変えた。
   和乙継は百済の第25代王である武寧王(在位501~523)の子孫であった。武寧王の祖先は高句麗の創建者・東明王(朱蒙)であるので、高野新笠の血のつながりは高句麗と扶余にまでさかのぼることが分かる。
   この由縁のためか、桓武天皇は渡来人を重用した。高句麗系の高麗福信、百済系の坂上苅田麻呂と
 



菅野道真などは彼の下で議政官を務めた。桓武天皇は784年に長岡京へ、794年に平安京へ都を移した。このころ、京都地域には泰氏をはじめ渡来系の氏族が多く住んでいた。
   京都市西京区の旧山陰街道沿いの山麓に高野新笠のお墓がある。京都市北区には高野新笠の神霊をまつる平野神社もある。
   2001年12月に天皇陛下が、「『続日本紀』に桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると書かれていて、韓国とのゆかりを感じる」という趣旨の発言をして話題になったことがある。