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   松山に俳句の友人グループがいる。誘われて松山に行き、近くの伊予大洲という町に吟行に出かけた。その町でという人を知った。慶長の役で日本軍の捕虜になった韓国の儒学者で、日本で3年ほど過ごし、藤原惺窩に四書五経を教えたと言われる。日本の 朱子学の父とも言われるほどの人だそうだ。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   は朝鮮王朝中期の文臣で、晋州(慶尚南道)の出身だ。1593年に科挙の文科に合格し、学統は朝鮮屈指の大儒学者・李退渓や李栗谷の流れをくむ。
   1597年の慶長の役で藤堂高虎水軍に捕まり、四国の大洲に連れて行かれた。その後、京都の伏見に移送され、幽閉生活を送ったが、赤松広通の援護の下、京都の相国寺の禅僧・藤原惺窩(1561~1619)と出会い、朝鮮儒学の成果と孔子祭典を伝えた。藤原惺窩は林羅山(1583~1657)を通じて徳川家康に朱子学を教えた人物で、は近世日本の朱子学と政治史を語るときに欠かせない存在となっている。
   は、京都に滞在しながら性理学の書籍など16
 



・21冊を執筆し、日本に朱子学を広めるのに寄与した。藤原惺窩は1599年2月、の協力の下、「四書五経和訓」20余巻を執筆している。
   は2年8カ月の抑留生活の後、1600年に帰国した。彼は日本の事情を詳しく観察し、日本文化を幅広く研究した。帰国後に書いた「看羊録」は、朝鮮時代の日本観察記の中で最も内容豊かで正確なものとなっている。
   と藤原惺窩らの交流は戦争がもたらしたものだったが、日韓の文化交流史で特筆すべき事例と言える。大洲市の市民会館前にはの業績をたたえる「鴻儒姜顕彰碑」が建てられている。