名護屋城


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   佐賀県立名護屋城博物館に行った。資料がよく整理されており見やすい。私が訪れた時は人が少なくゆっくりと展示を見て回ることができた。名護屋城は秀吉が起こした文禄慶長の役の日本軍の基地。この地に全国から諸大名が集まり大阪城に匹敵する城があったと思うと複雑な気持ちになる。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   豊臣秀吉が朝鮮侵略の前線基地として、九州北端の唐津市鎮西町の海辺に築いた城。当時の大阪城に匹敵する規模だった。文禄慶長の役(1592~1598年)の間中、朝鮮侵略の拠点となった。名護屋城の広さは17ヘクタールに及ぶ。1591年10月10日から黒田孝高、加藤清正など西国大名が築城を引き受け、翌春に本丸を中心とした主要部分を完成。その後、東国大名が到着して陣を張ったことで工事はさらに進む。京都の聚楽第に劣らないほど豪華燦爛とした城だったという。
   名護屋城に集結した全国の大名は160名に及んだ。彼らは築城とともに自分たちが住む陣屋の工事も進めた。名護屋城を中心とした半径3キロメートル以内にある丘陵のすべてに各大名の陣地が張り巡らされた。秀吉は、1592年4月25日に入城し、朝鮮に侵入した大名に指令を発した。1593年5月と6月には、江華交渉のため明からの使いをこの地に迎えている。
   朝鮮侵略が事実上終わった後、名護屋城は取り壊された。現在まで各大名の陣容と推定される場所が
 


120カ所余りも発見された。それは城の遺跡がある鎮西町をはじめ、呼子町、玄海町などに分布している。名護屋城と各陣屋の遺跡は、存立期間がはっきりしている上、遺跡の保存状況が良好なことから、建築史、造園史、文献史など様々な分野で貴重な研究資料となっている。1955年には国の特別史跡に指定された。
   佐賀県は、数十年前から名護屋城の遺跡地に名護屋城博物館を建立し、文禄慶長の役を主要テーマとした常設展示を行っている。この博物館は、名護屋城遺跡の調査・保存・活用、城郭と交流の歴史に関する資料の収集・保管・研究・展示・普及、日本列島と朝鮮半島との交流研究を中心とした国際学術・文化交流事業を展開している。韓国の慶尚南道晋州市にある晋州博物館も、名護屋城博物館と似たような活動を行っており、両博物館は、姉妹関係を結んで深い交流を育んでいる。晋州は、文禄慶長の役で三大激戦地の一つとされる地だ。