王仁博士


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   木浦(全羅南道)に行った帰りに王仁博士の博物館が近くにあると聞き立ち寄った。聖基洞(ソンギドン)といい王仁博士の生誕の地と伝えられている。王仁博士は日本書紀に出てくる「千字文」と「論語」を日本に伝えたと言われている。漢字を伝えたという説には異説もある。この施設はとても広く歩き疲れた。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   朝鮮と日本は大昔から人間が往来した。朝鮮から日本へ書籍を伝えたと言われるのは5世紀前後である。特に、百済の博士王仁が應神朝に論語と千字文を伝えたのが初めてであるという。その後、渡来人とともに多量の書籍が朝鮮半島から日本列島に伝わった。百済と倭の国交は近肖古王(346-375)のときから始まったようだ。この時の倭は朝鮮南部ないし九州北部に住む倭であろうと思う。百済と大和朝廷の国交は武寧王(501-523)から始まった。大和朝廷は百済から新文物を積極的に受け入れた。
   いまも大阪府枚方市には王仁博士のものといわ
 


れる墓所がある。また、その周辺には百済寺の跡地があり、そばには百済王神社も健在である。百済王は百済が滅亡した後、押し寄せる移住民たちに対して日本の天皇が与えた姓である。これは5~7世紀にこの地域が朝鮮半島と活発に交流したということを物語る証拠である。
   枚方市は王仁の生誕地とされる韓国・全羅南道霊岩郡と姉妹都市提携を結んでおり、毎年11月3日に王仁墓域で「博士王仁まつり」を開催している。近隣の学校では王仁博士の業績を称える「千字文漢字大会」が行われる。