京都南部教会


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   以前「パッチギ」という映画を見た。私の尊敬するイ・ボンウ監督の青春をその舞台となった京都の東九条を中心に撮影したものである。日本でもヒットしたと聞いている。京都駅の新幹線口から歩いて行ける。この街で京都南部教会という教会を見つけた。いろいろな歴史を持った教会と言われているので、鄭教授にその歴史を聞いてみた。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   日本帝国の朝鮮支配は、朝鮮人の日本移住を加速させた。朝鮮での生活に苦しむ貧しい朝鮮人は延命の道を求めて海を渡った。古代、日本に渡った渡来人は先進文明を持ち込んだが、近代の渡来人は植民地支配から産み出された下層民だった。在日朝鮮人の数は1930年に約90万に、45年には200万人を軽く超えた。彼らは主に労働者としていわゆる3K(汚い・きつい・危険)の仕事に従事し、日本の資本主義発達に貢献した。
   京都にも朝鮮人が多く住んだ。27年に1万人を突破したその数は41年には8万人を超えた。かれらは
 


主に土木工事や西陣織の工場で働いた。従って、京都の産業は朝鮮人によって支えられた面もあった。しかし、朝鮮人はあくまでも植民地の下等人として日本人から差別と軽蔑を受けた。川沿いなどの荒地に集団部落を作り、辛うじて生活を営んだ。京都東南部の東九条はその一つであった。そこには都市のインフラが何もなかった。日本人は豚小屋のようなところに住む朝鮮人を賤民のように扱った。地名の東九条も「豚九条」と呼び捨てた。豚のような存在だった朝鮮人は団体や協会などを作り、民族の自覚を保ちながら生きるために頑張った。