尹東柱


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   尹東柱の詩が好きで毎月、彼の詩の朗読をしているグループが福岡にある。そのメンバーの1人にソウルでお会いしたことがある。影響されて私も「天と風と星と詩」という詩集を買った。「いのち尽きる日まで天を仰ぎ一点の恥じることもなきを」という詩は有名。尹東柱は今なお韓国で最も人気のある詩人だそうだ。苦難の連続の人生だったはずなのに作品は青春の純粋さと透明感を感じるものが多い。

 

 

 
(鄭在貞の解説)
   尹東柱(1917~45)
   朝鮮が日本帝国の植民地支配の下にあった時代に、中国東北地方(満州)の北間島へ移住した父母のもとに生まれた。彼はソウルの延禧専門学校(現在の延世大学)を卒業し、東京の立教大学に入学した後、1942年10月1日京都の同志社大学文学部文化学科英語英文学科に入学した。彼が生涯、尊敬する友人だった宋夢奎は京都帝国大学に在学中であった。尹東柱は京都に住んでからわずか10カ月ばかりで、宋夢奎らと朝鮮民族独立運動を行った疑いで、警察に逮捕された。尹東柱と宋夢奎は下鴨警察署の留置場に監禁された後、治安維持法違反の罪で福岡刑務所に收監された。同刑務所は主に朝鮮独立運動関係者を収容した。
   尹東柱は独房で労役したが、中身の分からない注射を打たれ続けたあげく、45年2月16日、悲鳴を上げながら獄死した。朝鮮解放まで半年、出所満
 


期の9カ月半前のことだった。享年27歳。あまりにも短い生涯だった。彼を死に招いた注射液は当時、九州帝国大学が実験していた血漿(けっしょう)代用生理食塩水だったという説がある。彼の両親は故郷の家の庭で葬式を挙げ、小山に葬った。彼の墓には「詩人尹東柱之碑」が立てられている。
   尹東柱は朝鮮解放後、民族詩人として称えられるようになった。日本帝国のハングル抹殺政策を避けるために隠してあった彼の詩が発見され、紹介されたからである。彼の詩を新聞に連載した人も同志社大学出身の民族詩人、鄭芝溶(1902~50)だった。
   同志社大学の今出川キャンパスには尹東柱と鄭芝溶を称える詩碑が立てられている。尹東柱と鄭芝溶はこのキャンパスで時には浪漫を楽しみ、時には民族の現実を悲しんだ。彼らの珠玉のような詩は今も韓国人に愛唱されている。