「親子二代の入学とは珍しいですね。ようこそ!」 とソウル日本人学校の先生方に歓待を受けてから1 年半が経とうとしています。私がハンガンの奇跡に 沸く韓国に転校して来たのは88オリンピックの年で した。6年間の学業を終え、中学卒業前に書いた学 校便りに「日韓の架け橋となるのが使命」とわかった ような事を書き残し帰国してから10年余り、今再び この地に立っています。ナムサンの優しい姿やハン ガンの変わらぬ流れに慰められたり、激変している 二村洞の街並みを懐かしんだりしながら「商習慣の違 う」韓国での業務に悪戦苦闘中です。それにしてもあ のたくましい生活感あふれる、リヤカー商隊は韓国必 見の名物であったのにと懐かしく思い出しておりま す。今では市場以外では殆ど見かけなくなりました。

  ソウル日本人学校を卒業して、二つのことが私の 思考回路を安定させ、価値観の判断基準をより人間 的なものにさせてくれました。ひとつは仲間を得た ことです。不定期ではありますが帰国してからも集 まりあっています。外国での生活が仲間意識を一段 と硬い物にしてくれたのでしょう。過日その仲間が 陣中見舞だといって尋ねてきました。日本人学校の 校庭で当時の少年少女になりきって遊びはしゃいで いました。「血の結束」で結ばれた友情は何時までも 続くと仲間誰もが信じています。二つ目は学校での 社会見学で独立記念館に行った事です。そこで幼い 私は例の蝋人形を見てしまったのです。ショックが 大きかったせいか父に「なぜ日本人はあのような事 をしたの?」と問いました。父が説明した後「お前は どう思う?」と私に聞き返しました。「日本人は馬鹿 だ、馬鹿なことをしたんだ!」と幼心に答えた事を未 だ鮮明に覚えています。こんな事があってか、私は 自分のことを「同年代の人と比べ、韓国をより理解し ている」と自己評価していました。新聞をどの面を見 ても韓国関連の記事には敏感ですし、それを楽しめ るようになりました。また常に私の頭の中には日韓 が存在し、何事にも比較対照できた為、日本を客観 的に見ることが出来ました。これは今まさにビジネ スの上で韓国の方々を理解する事に大いに役立って います。

  「ヨン様はなぜペー様ではいけないの」「日本はい つまであやまり続けるの」(毎日新聞万能川柳俳句よ り)この二つの句は私に与えられた「韓国人とのふれあい」について雄弁に語っています。日韓関係は とにかく複雑で時としてギクシャクしています。そ れでも私達大衆の間ではヨン様に焼餅を焼きたい位 の「韓流ブーム」です。一方で一般的に「お節介」 「情が深い」と言われる韓国人の特性は何処から生 じたモノなのでしょう。日本では核家族化により失 われてしまったと言われている「家族の絆を大事に する心」は同じ屋根の下に住む「大家族制」によっ て韓国の人々の間にごく当然のように育まれ、儒教 思想と相まって、まさに「制度化」されるまでに成熟 したのだと思います。こうした理由の為に、日本人 は昔の自分を重ね見て韓流ブームが引き起こされた のではないかと私は思います。「政府が政治がどう であっても民間人レベルではお互いを知り合おう」と いう事です。「お上はどうであれ民は道を知ってい る」のです。両国の人々が語り合い、同じ目線で観察 し、価値観を極めて等しい所に置いて、互いの立場 を認め合う。そうした人間的巾(の広さ)を日本人も 韓国の人々にも持てる時代を迎えているのだと私は 考えています。ビジネスの世界でも全く同じだと思 います。ひと昔に比べ現在の抱える難題に気遣 い、心遣いが出来る人々がどんどん増えて来ている のは間違いのない事実です。

  そんな中私の唯一のふれあいは「韓国の酒を飲む」だけであって、取りあえず社員と社員の友達(韓 国の方々)と韓国焼酎を飲み、サムギョプサル、にん にくを焼きながら大きな声で話し、ゆっくりと沢山 食べて韓国流儀で酒を飲む事です。  そしていつかこんな会話をしたいです。 「韓国語と日本語は文法が似ているため、大学入 試で日本語を選択する者が高得点をマークする。平 等を保つために日本語の選択を禁ずる」と数年前に ニュースで聞いた。本当にそれだけの理由か? 彼らは一時考えてから 「韓国は中国と陸続きだ、でも韓国人のDNAは中 国人よりも日本人に近いんだ。言葉も同じだしそん な事は無い。」 私は言います。 「わかった信じる。俺は・お前が・好きだから」と 彼もゆっくり 「ナド・ダンシンウル・チョワハニカ」