趙美淑さんにはじめて会ったのは去年の4月、金 浦空港のロビーでした。
   「ソウルに友の会(=婦人之友の読者の会)をつくり たいと準備している韓国人がいます」と言う連絡があ ったからです。
   お互いのことがわかるように目印に「婦人之 友」を持って行くことにしました。
   その日は東京から友の会の中央委員で人形作家の 田中周子さんが来韓し、美淑さんが勤める高校のク ラブ活動で田中さんのセーター人形の紹介と講演を することになっていました。
   美淑さんが「婦人之友」や羽仁もと子に出会ったの は、今から8年前慶州でおこなわれた「新しい教育を 考える会」のセミナーの時でした。
   韓国の加熱する教育環境について、このままでは いけないと考える教育者や知識人たちが集まり、そ の中で世界中からユニークな学校を取り上げ学んだ そうです。
   日本からは東京の自由学園が紹介され、その時創 立者の羽仁もと子のことを知りました。
   よく生活することがよく教育すること=「生活即教 育」という考えは今の韓国には無いと感じた美淑さん たちは、その後も熱心に研究会を開いているとのこ とです。
   美淑さんは近い将来、江華島に生活学校を開校す るための準備をしています。
   また美淑さんはソウルに友の会を作りたいと仲間 を集めて準備会をしていました。
   友の会は80年前「よい社会はよい家庭から」という 羽仁もと子の呼びかけで全国津々浦々に作られまし た。横浜友の会に入っていた私は連絡を受け、嬉し くて美淑さんに会いに行きました。
   翌5月からはロンドン友の会からソウルに来た宮 崎さんと3人で読書会をはじめました。
   「婦人之友」にお知らせを載せてもらったり、友 達を誘ったりして今年4月には7人が集まりまし た。各家庭を会場に読書をして感じたことを話した りキムチやおやつを作ったり、年代を越えた楽しい 集まりです。
   今はまだ「ソウルの友」と呼んでいますが将来「ソウル 友の会」になる日までお手伝いしたいと思っています。


   前号に書かせていただいた李方子妃の秘書官だっ た金壽姙先生は、方子妃の果たせなかった夢「日韓 で障害者のための老人施設の建設」を願って、86歳 の今も東奔西走していらっしゃいます。
   お身体で痛いところはないのですかとお聞きしたら 「がまんですよ」というお答えが返ってきました。先 生の人生は、『無謀な願い+意地=奇跡が起こる?』 なのだそうです。
   「せっかく懐いたのに、もう帰るんだから…」と、お っしゃってくださる先生のお役には立てませんでした が、たくさん勉強をさせていただきました。
   韓日女性親善協会は29年前に故朴貞子さんを中心 に、また日韓女性親善協会は相馬雪香さんを中心に 始められ、大学生の交換留学や小中学生の絵画展を 通して日韓の理解と親睦を深めてきました。
日韓の関係がいい時もよくない時も、変わらずに お互いを尊敬して交流を続けてきたことに、昨今の 韓流ブームは急に起こったことではなく、そこには 永年のいろいろな民間交流があったからなのだと思 いました。
   李堯植会長も姜英姫副会長もその他の理事さん方 も各界で活躍されていらっしゃる方々ばかりで、は じめは緊張していましたが何回かお会いする度に 「ソウルでの生活で困っていることはないか?」と 親身に接してくださいました。
   帰国に当たって、「楽しい思い出だけ持って帰って ね」とおっしゃる皆さんの優しさに思わず涙が出 て、これっきりでお会いできなくなるのは淋しいと思 いました。
   趙美淑さんや金壽姙先生、韓日女性親善協会の方 々そしてSJC前理事長の高杉さん、教養文化委員会 の神山さん、伊豫部さんをはじめ多くの方々とお付 き合いさせていただきました。と同時にどれほど多 くの方々が韓国と日本のためにご尽力されていらっ しゃるかを目の当たりにして感動しました。
   私も皆さんみたいに知り合った方すべてとこれか らも、どんな時にもお付き合いして行きたいと思っ ています。
   どこまでも親切で明るい韓国人とたくさん出会う ことができ、本当に楽しく充実した2年間でした。