TEC KOREA 下久保 徹彌
5月26日、榮えあるSJC春季コンペにて優勝させて頂きました。良きパートナーと良き天候と見目麗しきキャデーに恵まれ、本当に楽しいゴルプでした。凹凸ゴルプだったんですが、上がって見たら、なんとラッキーハンデが辛いし、何故か優秀してしまった次第です。 まあ、何事も、諦めないで真面目にやり、スコアを正しく書けば神は見放さず。まさに「正義は勝つ」の見本みたいなゴルプでした。あつては真剣に競技ゴルプに打ちこんでいた私なんですが、いつものまにか「吉本ゴルプ」に転落。。。。これではいかん、と反省していた矢先の優勝でした。

思い起こせば、96年、スコアを真面目に申告したら、タイ日本人会コンペ(総勢200人余り参加)で優勝してしまい、悪友達と美酒美唄美女に酔いしれ呆けていたら、神の祟りか、はたまた平家武者の怨念か(我が家の先祖源氏なのだ)、数日後に、暖かな北国ソウルへ赴け、との辞令を拝受してしまった。
爾後5年、北国どころか、またまた竜宮城のようなソウル生活を送ってしまったが、今回のSJCコンペ優勝を最後に、不況風の厳しい日本に帰ることになりました。大きなコンペで健勝の度に名斯様な変化が生じ、何やら不気味な「えにし」を感じています。帰国あとは、玉手箱など開けたりせず、端麗辛口のゴルフ生活に入ろうかと決心しております。
思い起こせば、中近東イラクに始まった小生の海外生活も、サウジ、インド、たいと漸次日本に近づいて来たんですが、タイから何故か日本を飛び越えて韓国赴任、それまで韓国のカの字も知らなかった小生、正に晴天の霹靂でした。
不安と猜疑心を胸に着任し、当初1年間は、「自分自身の日韓の過去に拘泥した」為か、韓国という国も非常に遠く、先が全く見えませんでした。
しかし、或る悲しい出来事が契機となって、ブレークスルー。韓国生活の諸々をエンジョイできるまでになり、今で韓国に第三ハウスを持とうかと思うぐらいの愛韓派になっています。
(注:第二ハウスはバンコクなんです。。。悪しからず)。
旅行、ゴルフ、カラオケ、韓国グルメ。。。何を取っても、大好きなものばかりです。また、小生の趣味の一つでもあるブリッジを通じ、韓国ブリッジかい界、国連軍キャンプなどへも出入りさせていただき、カードゲイム、パーティーなどを通じ、韓国上流社会の生活を垣間見ることが出来、大変参考になりました。例えば、上流社会の御夫人達、韓国人紹介本に書いてあるような下卑た振る舞いなど一切御座いません。他人をおもんばかり、遠慮深く、慎み多いお言葉で話されます。英語、日本語に堪能ですし、文化のギャップなど全然感じませんでした。
一方、その反対側にも居ると思われるいろいろな人達との異文化交流も深めることが出来、このソウルは忘れ得ぬ街のひとつとなりました。
真冬オンドル部屋で過ごした夢のような一時、ポテトチップのような難しいグリーンでの5パット、KBSノレジャランに出演して唄ったネパクチャ(4拍子)、モックポクユダル山で唄った「木浦の涙」、そして、数多くのコンサート観覧などなど。。。いろいろ有りましたが、自画自賛出来るのは、韓国演歌レパートリーが100曲(原語)にもなったことでしょうか?歌詞の意味を理解し、ハングルで暗記するのはかなり大変ですが、演歌の心は日本も韓国も同じ(日本演歌のルーツは韓国)コツさえ掴めばそんなに難しくはありません。私の場合、ほば毎日、キーボードで音を掴み、CDで発音を勉強し、その後独りでノレパンで(時間つぶしも兼ね)唄ってました。楽しい思い出の一つです。或る日、韓国の友達がノレジャランの予選会に行くと言うので、小生の面白半分で付いて行きました。会場では、当日参加も歓迎とのことだったので、小生もダメモトで参加してみたら、友人は脱落。小生は本選まで進んでしまい、とうとうテレビ出演となってしまいました。合格の鐘は鳴らしたんですが、インタビュー(ソンヘ先生)の韓国語が全然分からず、歌唄の部分は放送されたんですが、インタビューの個所はカットされていました。その後、年末の外国人大会が有ったんですが、これは予選で落ちてしまいました。ホームコース(後記)でゴルフ漬けになる予定でいます。遊び半分の吉本ゴルフは棄て、競技ゴルフに戻り、グラチャン(但し、シニア部門)を目指し、毎朝5時起き、素振り200本、ジョッギング5キロなどなど。。。男―匹、親に貰ったこの身体(身長5尺8寸体重20貫)五臓六腑ともども鍛え直す所在と。。。意気軒昂なんですが、気が弱く心優しいこの私、果たしてどうやることやら?
終りになってしまいましたが、在任中優しくして皆様本当に有難う御座いました。
いま、SJCコンペ優勝を機に、過ぎ去ったソウル生活を振り返ると、もうみんな夢の中の出來事。優勝も、ひょっとしたら夢だったのかもしれませんが。。。
7月10日ソウルを離れます。「ソウルよアン二ョン(李美子)」を唄いながら。。。
あのクリウンサラン達の笑顔やしぐさが胸をよぎり、きっと涙が止まらないことでしょう。
アン二ョン漢城。アン二ョン漢江。(平成13年6月15日 記)