大和銀行 井上愼一
古くて新しいものの一つに、ビートルズがあげられると思う。中学生の時に初めて聴いて以来40年近くになりますが、いまだに聴いても新鮮に感じられ、厭きがこない。1970年に解散してから、既に31年経っているが去年発売されたベスト盤『1』(過去に英米のヒットチャートで1位になった27曲を集めたCD)は、全世界でミリオン・セラーとなりその人気はいまだ不変と言える。私なりにそんなビートルズの色あせない魅力について、述べてみたい。

私は音楽はモーツワルトやショパンなどのクラシック音楽も好きであるが、いかんせん聴くだけでピアノやバイオリンなどを演奏する事はできない。1963年にビートルズが登場するまでは、ポピュラー音楽も、プロの作詞家、作曲家が創った曲を、専門の楽団の演奏のもとに、歌手が唄うといったスタイルで、ファンはただ聴くだけであった。
そうした中でビートルズは、自分達自身で作詞、作曲した曲を自らギター、ドラマなどを弾きながら同時に唄うという独創的なスタイルで登場してきた。今日のニュー・ミュージック系の音楽グループにとってはあたりまえの事であるが、そのルーツはビートルズであり、当時は大変斬新であった。
このスタイルは瞬く間に全世界に広まり、日本でも多くのグループ・サウンドが誕生するきっかけになった。また普通の素人でもギターを弾いてビートルズの曲などを趣味で唄う人が増えてきた。私もその一人で、中学生の時からへたくそなギターを弾くようになった。ソウルに赴任してからも鐘路の楽器店でアーコスティック・ギターを買い求め、単身赴任中の無聊をなぐさめるべく今でも時々練習している。

ビートルズは英国の港町リバプール出身のアマチュアみたいな若者4人組グループが、自作自演で成功したというイメージが強く、普通の人でも曲を創ってギターを弾いて唄う事が可能だとの考え方を世界中に拡散したが、同時にビートルズをスーパー・スターというよりむしろ身近なものに感じさせる作用にも働いたのではと思う。実際はオリジナリティ溢れる才能と個性の持ち主であったが、デビューするまではレコード会社のオーディションに落ちるなど苦労している。
ビートルズの曲はフランク・シナトラやレイ・チャールスなど多くの有名歌手が唄っているが、独断ながらビートルズの曲の持つ独特の魅力は失われ、ただの凡庸な曲になっていると感じられる。ビートルズの曲はビートルズ以外のどんな大歌手が唄ってもその魅力を表現できないとも言われているが、その由縁はどこにあるのだろうか。

これについてビートルズの曲は単純そうに聴えていても、例えば楽曲の1番と2番でメロディーやハーモニーを微妙に変えていたり、繰り返しに聴える部分でもギターの演奏やベースのラインを変化させたりと独特かつ微妙の味付けがされていると『ビートルズサウンズ大研究』(チャック近藤著、シンコーミュージック出版)というビートルズ研究本では指摘している。また彼らのボーカルが大事で、彼らの声そのものが楽器のようだとの指摘もある。彼らの声はそれほどすごい美声とは思わず、むしろ聴き心地良い素直な声に感じられるが、そのことがかえって親近感を与えていると思われ、どの曲を聴いていても、ビートルズのメンバーの誰が唄って誰がハーモニーをつけているのか分かるのが特徴と言えよう。
従ってビートルズの曲の魅力を表現するためには、ビートルズとまったく同じように演奏し唄わなければならなくなるが、これが現在でも世界中にビートルズのコピー・バンドが存在している理由であろうか。韓国にも確か昨年、英国かどこかのコピー・バンドが来てコンサートが開催されたとKOREA TIMESで読んだ記憶がある。(ちなみに私は迷ったが、行かなかった。)

日本にも世界的に有名なコピー・バンドが存在し、六本木のライブハウスのレギュラーバンドだったLADYBUGはコピーの完成度が高い事で日本はもとより世界のマスコミからも注目されていて、解散した時にはロイターが報じたそうである。さきほど紹介した『ビートルズサウンズ大研究』という本を出筆したチャック近藤氏は、そのLADYBUGのリーダだった人で、この本はギター演奏の譜例を交えてビートルズの全213曲を分析、解説してあり、少しでもギターの弾けるビートルズ・ファンには必見の書である。
ビートルズの公式発表曲とされている213曲の中に、30年、40年という時間の経過に耐えて残っている名曲は多い。一方で一時的にヒットしたもののその後、時の流れに埋没した曲もある。私も曲の好みは、さすがに中学生の時と現在とでは違ってきている。一昨年に英国のプロのミュージシャンが選んだ戦後発表された楽曲の中の好きな曲のランキング1位にビートルズの"IN MY LIFE"があげられているが、この曲は「RUBBER SOUL」というLPの中の1曲で、シングル盤では発売されておらず、知る人ぞ知るといった曲であった。また"YES IT IS"や"I AM THE WALRUS"などシングル盤のB面として発売された曲の中にも名曲と言われているものがある。

彼らの故郷のリバプールにある街路を唄った"PENNY LANE"という曲は、今聴いてもどうしてあんなに美しいメロディーを思いついたのか不思議なほどであるが、発売当時の1967年に英国のヒット・チャートで1位になれずに、その事が現在では「英国のレコード購買層が永久に恥じるべき汚点」とまで言われているそうである。(ちなみに1位になったのは、エンゲルベルト・フンパーディンクが唄った"RELEASE ME"という曲である旨)彼ら自身は、相当の会心作にもかかわらずベスト・セラーにならなかった事をまったく気にしておらず平淡としていたと伝えられている。今にして思えば、「時の流れに耐えられる曲」ができたとの予感から、遠くを見ていたのかもしれない。そして30余年過ぎてみればまさにその通りであった事が分かる。
普通の若者のように思えるところのあった4人組も、実際は大変な材能の持ち主で、特に多くの名曲を作詞、作曲したジョン・レノンとポール・マッカートニーの2人はともに100年に1人の天才とまで言われている。この類希なる2人がほぼ同時期にリバプールの近所で生まれたのは不思議であるが、やがて少年時代の終わり頃に2人が出会ったところから、ビートルズのサクセス・ストーリーは始まる。

4人のメンバーの中でリーダー格であったジョン・レノンは1970年のビートルズ解散後、日本人妻のオイ・ヨーコとソロ活動をしていて"IMAGINE"などの名曲を発表していたが、10年後の1980年12月にニューヨークでファンと目される男に銃で殺された。このたびの米国同時多発テロの後で、ニューヨークのラジオ局にこの"Imagine all the people living life in peace…"と唄う"IMAGINE"へのリクエストが殺到したとの報道があったが、時を超えて響くものがあったのであろうか。
残った3人のメンバーも現在60才前後の年齢になっているが、もうマスコミに登場する事はあまりない。先般リード・ギターを弾いていたジョージ・ハリスンがガンで闘病生活をおくっているとの報道を目にしたが、時の流れは過酷である。
1963年にデビューして1970年に解散した後も、ビートルズの曲の多くは輝きを失わず人々に聴き続けられてきたが、21世紀初頭になってもまだそのサウンドは新鮮に聴こえる。しかし、これから200年、300年と残っていけるかは誰にも分からない。