LG電線(株) 片上浩三
恐る恐るの99年3月のソウルマラソン参加から3シーズンが過ぎ、この間に30回近い短縮(ハーフ)マラソンに参加してきた。この3年は韓国マラソンの急成長期、年々倍増ゲームを繰り返してきている。初めは数百人単位のレースが多く、21.0975kmのゴールでは前にも後ろにも他のランナーが一人見えるかどうかというさびしいレースもあった。それが今では参加人数制限をせざるをえない大会も増え、1万人を超える大会も珍しくなくなった。

仕事上韓国人の仕事の生々しい現場に接する機会の少ない身としては、この「現場そのもの」のマラソン大会に参加してここの人達のレースマネジメントに直接触れて、多分同様であろうビジネスマネジメントの実態理解に大変役に立った。
当初は言葉もこちらの人の特性も分からぬまま現場入りで面食らうことが多かった。僕自身が「韓国人でない」との認識が(当然)強かったし、全体人数も少ないので、個々の人(ライバル)が目に付くことが多かった。人数が少ないため道路幅も十分確保されないケースがあり、追い越された時すぐ前に入られ、ぶつかられたケースがあった。また、前の人に追いつき追い越そうとした時、(明らかに日本人と意識して)絶対に追い越させないぞと進路を塞がれたことも―――他の韓国人がどんどん追い越して行くがそれは気にも止めず、ひたすら僕だけを意識してこの男は3kmを粘った。その先に出てきた1kmにも及ぶ長い坂でようやく彼は力尽きて脱落していったが。

こんな怒りたくなるようなことが多かった初めての年が過ぎると、こういうケースは何故かなくなった。代わって良きライバル、ペースメーカーとして意識されることが多くなった。他に似たペースメーカーがいても何故か僕についてくる人がいる。「自分に心地よいペース+日本人」には、韓国人と違う何らかの魅力があるらしい。昨秋の漢江コースのハーフマラソンでは5km地点から18kmまで並走した男がいた(何せ僕は背が低いので、一寸大きな男には圧迫感を覚える)。当初は多少競っていた感じだったが、そのうちお互いに良きペースメーカーとなり、差が開くと先行した方が他方を持つような形で18km地点まで並走してしまった。ラスト3kmはこのスピードにこちらがへばって脱落しまったが。

今年の初めの慶州マラソン。2月から3月いっぱいひどい風邪をひいてしまい、3月の3つの大会をやむなく棄権し、体調が整わずに出たこのレースは辛かった。このコースは高低の大きな差がかなりあり、普通でもしんどい。それで昨年に比べて明らかに遅い速度でやっとの思いで走っていた。ゴール前5km位の地点にある長い坂を登っていたとき、それでも一人二人を抜いて行った。その時、たまたまペースが合った20代の若者がいた。坂を上り切ったところで僕は速度を落したくて彼に「先に行ってくれ」と合図を送ったら、どういう訳か彼は「いや、一緒に行きましょう」とばかりのサインを送り返してきた。休みたかったけどやむを得ず彼についていった。そうしたら、彼は並走しながら声を出してリズムを取ろうとするではないか?声を出すこともかなりエネルギーを使うのだが、これに答えて僕も掛け声をかけ返した。そういう掛け声合戦がなんと3、4kmも続くことになった。当然寄声をあげて走る妙な二人は注目の的に―――多くのランナーがびっくりしたように僕らを見ている。さすがに残り1km程は二人とも声を出す元気はなくなったが、ペースは落ちずそのままゴールイン。彼にとっては僕のペースは自分をやや上回る「程よいペース」だったようで、「過去最高の記録が出ました」と感謝された。丁度僕の長男くらいの年齢だった。

並走は一般的には意外に疲れるものでありあまりやりたいものではない。にもかかわらず、今秋の統一路マラソンでは1km地点から何とゴールまでの20kmを美人ランナーと並走してしまった。これはどちらかというと、1km地点で僕を追い越していったこの美人ランナーを僕が追い掛けたのが発端ではあったが、スタート前の韓国人ランナー同士の話から彼女のスピードはやや僕より速そうであった。実際追い越される時の情況から見て明らかにスピードが違うと感じつつ、やや無理をして追い掛けて行くうちに調子が上がり、何とか背中を見て走れるようになり、5kmくらく行くと横に並んで走るようになった。そのうちに今度は彼女の方でこちらを良きペースメーカーと認識したらしく、給水所などで一時遅れても必ず追いついてきて、しかもそれより先へは行かなくなった。当然他に追い越して行くランナーがいるが、彼女はそちらへは目もくれなくなってしまった。こんな並走が続く中、10km地点で2人で若い女性ランナーを追い越した。ところがこのランナーは並走してきた美人ランナーの友人らしく2人で時々会話をしながら走るようになった。僕はその前後を走る形に。

順調に走っていったがこの速度はやはりややオーバーペースだったらしく、16km地点辺りにあった緩い登り坂で右端のふくらはぎに突然軽い痛みが。吊りそうになっていたのだ。「これはやばい」とやむなく速度を落し、彼女達は先へ先へと遠ざかっていった。
その後は無理をせず流れに任せて走っていったが、ふと気がつくと18km地点で彼女がすぐ前にいた。彼女の友人はこの地点ではずっと先に行っていた。彼女も疲れを感じてきて、知らないうちに速度が落ちたのだろう。そういう意味ではペースメーカーという仲間は重要なのかもしれない。彼女の横に並んでみたら彼女もこちらに気づき、またペースをあげて僕と並走することに。
このコースは鉄道の跨線橋を主体にアップダウンが6、7ヶ所ある。緩いけれど結構こたえる。そして最後にイムジンガンを渡る「自由の橋」の手前でまた2~30m下がって登る「心臓破りの坂」が出てくる。これを登ればイムジンガクのゴールだ。ここはさすがにきつく、急に歩く人が増えてくる。後1kmのここまで並走してきた彼女にさすがに疲れが見え、ここから多少差が開いた。彼女をややかわした後、先行する彼女の友人とのデッドヒートを経て無事にゴールイン。振り返って彼女を待つと50mほど遅れて彼女も無事ゴールへ。「良きペースを有り難う」―――そんな気持ちで握手をした。

並走の効果と疲労―――そういう前になかなかペースが合う人がいるものではない。ここに挙げた例は「例外」を集めたものかもしれない。また、異国人同士だからうまく並走できたのかもしれないと自分でも思う。そう思えば、日本人の存在もこの国では「悪くはない」のかもしれないと勝手に解釈するこの頃である。