西日本新聞ソウル局長 田第俊一郎

「いま釣りながら野遊会をやってますが、来ませんか」
「どこで」
「いつものところで」
午後11時ごろの電話である。
「わかりました。行きます。」
部屋にある釣り竿、リール、それに差し入れの焼酎のポケット瓶を持って釣り場に急ぐ。
釣り場はアパート前の漢江大橋の下。歩いて十分もかからない。すでに宴はたけなわで、ガスバーナーの上で、チゲが煮えたぎっている。焼酎の空き瓶2,3本がすでに横になっていた。「モンジョ(まず)」と、焼酎が回ってくる。
漢江大橋下を実効支配しているこのグループを、私は勝手に「漢江大橋派」と呼んでいる。といっても人数は3人くらいで、不思議なのは新衛隊とおぼしき2,3人のアジュンマが宴にはいつもまじっていることだ。漢江大橋派に出会ったのは釣り始めてすぐだ。


韓国の川の王のソガリ(ユラライケツギ)

「ここで釣れないよ。橋の上の車の音がうるさくて魚はいないからね。」 漢江大橋派の実行隊長ともいえる小柄な男が話しかけてきた。親切な男だ、と思っていたが、それが釣り師が持つ、ポイント隠しのあいさつであることがわかったのはあとになってからだ。漢江大橋下は川底がえぐれ、深くなっている。絶好のポイントなのだ。
チゲを囲みながら「釣りました」と聞く。
当然といった表情で男たちはあごを川の方にしゃくった。宴はいつも釣談、食談、性談が交わされ、時折、ヒッヒッヒ、フッフッフッとか、意味ありげな笑いがもれる。教科書問題が出ることはない。
私は宴の時にしたり顔で仕事の話をする男はずっと避けてきた。この宴は、宴にふさわしい正しい会話があるので、できるだけ欠席しないように心がけている。
ただ、一つ困るのはこのグループでは持ち回りで「おいしい店」を紹介するB級グルメ会を催していることだ。手持ちのカードが少ないだけに、自分の番になると、店探しに苦労する。
私の釣り方は編狭なセクト主義ではない。ルアー(疑似類)、フライ(毛針)、餌釣りと何でもこなす、無節操な釣り師である。漢江大橋派はX釣り、それもドジョウを餌にした釣り方だ。日本での万能餌はミミズだが、餌のドジョウは釣具店に常備されている。
「ここではドジョウを使わなくてはだめだ。あんたはルアーをしているが、そんな高価な釣りより、ドジョウを使いなよ」
そう言いながら、宴の後、実行隊長は私にドジョウを渡した。竿はリール付きの1.8メートル。針にドジョウを通し、針上25センチに小さな錘を一つ。それが仕掛けだ。漢江の釣りは大河だけに大きな竿、大きな錘で、できるだけ遠くに飛ばす投げ釣りが大半だ。しかし、この川に精通した漢江大橋派の仕掛けは短く、軽く、手釣りが基本になっている。


黒真が美しいガンノンオ(川スズキ)

米国から来た外来魚バスも釣れる

「あんなに飛ばしても意味がない。釣った時の引きを楽しめないし、ポイントは足元だよ」理論的だ。狙う魚の一番手はソガリ、日本名でコウライケツギョ。日本にはいないスズキ科の魚だ。
ソガリメウンタンは一匹で4千円もする名物料理だ。「ソガリは美しくて勇気があって、おいしい。」誰もが口をそろえる。ヒレに毒があり、ソガリの名前は「ソダ(刺す)」からきた、との説もある。
実行隊長が「ポイントは足元」と言ったように、岩など物陰にいる「根魚」といえる。漢江の岸はコンクリートブロックなどで護岸され、その穴、割れ目などがソガリの格好の住み家になっている。
岸から1メートル近くを探っていく。錘が底に付いたら誘うように上下させる。入れば、必ず、食いついてくる。難しい釣りではない。
「チャバッタ(釣れた)」
実行隊長が声をあげる。30センチのソガリだ。まだら模様が美しい。
「日本ではインターネットでみたが、20センチのソガリで2万円の値がついていました」
私が説明すると、実行隊長は「日本に送れば大儲けができるな」と、笑った。私も漢江大橋下で半年の間に50匹近いソガリを釣っている。夜行性だけに夜と朝早くがよく釣れる。
「それにしても日本でヒットする韓国ものは川魚の名前が多いね」
実行隊長にこう言うと、けげんそうな顔をした。
「隊長、日本でヒットした映画、"シュリ"は韓国の渓類魚の名前だし、日本語訳が出たベストセラー本"カシコギ"はトゲウオのことでしょう」
「そうだね、そのうち、ソガリの名前を付けた映画、本がヒットするかもね。」
韓国の川にはソガリをはじめ約150種類の魚が生息している。この釣り方で漢江大橋下で釣れるのはソガリのほかに、ヌチ(コウライニゴイ)、カンジュンチ(カワヒラ)、べス(ブラックバス)、カンノンオ(川スズキ)、メギ(ナマズ)、ジャンオ(ウナギ)、クリ(コウライハス)など。韓国の川魚の特徴は大陸性で大型魚が多い。
20年くらい前で、魚は小さかった。それは、専門の漁師がたくさんいて、大きい魚を片っ端でとっていたから。でも、いまは専門の漁師はいなくなったから、魚が大きくなれるようになった」
実行隊長が言う。なぜ、漁師がいなくなったのか。それは水が汚れていたからだ。韓国の経済成長を「漢江の奇跡」と呼ぶ。その奇跡のおかげで水は汚濁し、魚は少なくなり、魚の商品価値もなくなった。ところが、ソウル市などが漢江浄化に力を入れ、最近はアユの遡上が確認されるほど、きれいになっている。新しい「漢江の奇跡」である。
私も「チャバッタ」。横に意図を振るのでソガリではない。ソガリは縦の引きだ。ヌチである。ヌチは70センチにもなるコイ科の仲間だ。口がたらこ唇で、ここに針がかかることが多い。ソガリに比べ、味は「おいしくない」という定評で、実行隊長は「犬の餌にしている」と冷淡だ。しかし、韓国の川釣りを楽しませている主人公はこのヌチである。汚濁に強く、繁殖力が旺盛で、数も多い。引きが強く、ファイトを堪能できる。また、ルアーでも掛かるので、ゲームフィッシュの対象魚としても人気がある。
実行部長の「チャバッタ」の声が一段と高くなった。興奮している。駆け寄ると、それはファンソガリ、黄色いソガリだった。ファンソガリは漢江では天然記念物に指定されている。全身が黄金色のファンソガリはソガリの突然変異種だ。その突然変異がよく出るため、一時は別種とする説もあった。いまでは、国立の川魚研究所がこのファンソガリを養殖し、漢江には年に2万匹も放流されている。


マチ(コウライ ニゴイ)

実行隊長はチュと口づけし、「もう釣られるな」と言いながら放流した。このファンソガリはソウル市内にあるCOEXの水族館で簡単に見ることもできる。ここでロケした韓国のテレビドラマの中で、自分の性格を変えられない主人公が「ソガリのように変わることができたらいいのに……」と言うシーンを思い出した。長年、漢江で釣りをしている実行部長も「初めて釣った」と言う。私もこれまで2匹、釣っているが、本当に美しい魚だ。
午前1時過ぎ。他のメンバーは帰り、実行隊長と私だけが残って、とりとめのない話を交わす。
「少年のころ、この漢江大橋にアメリカのB29が北韓(北朝鮮民主主義共和国)の戦闘機に衝撃されて落ちたことがある」
実行隊長は64歳である。朝鮮戦争での記憶が残っているのだ。ソウルの漢江には現在、24の大橋がかかっている。朝鮮戦争時には漢江大橋しかなかった。その橋も北からの攻撃を避けるために爆破する。北側地区に残った住民は北に連行され、離散家族になっていく。
その橋の下で釣りをする韓国人と日本人。実行隊長の詳しい人生の履歴は知らない。ただ、物腰から実直な人生を歩んできたことはわかる。一線を退いた今は、釣り三味の日々を送っている。私はどこか現場のない南北情勢の取材の空虚さを人、風土に直に接することができる釣りをすることでバランスを取っている。
ヤマメ、アユ、コウライオヤニラミ、カワアカメ……。すでに韓国の川魚20種類以上を釣っている。それは実行隊長をはじめ、韓国名地の釣り師立ちのおかげである。「韓国の釣り」という本を出版して世話になった釣り師立ちにささやかなプレゼントをしたいと、思っている。
宴も終わり、釣りも終わり、漢江を引き上げる。実行隊長の乗る自転車のカバンのなかには釣ったソガリが入っている。「いまからどこに持って行くの」とわざと聞く。どこにいくのか、私は知っている。竜山駅前にあるカムじゃタン(ジャガイモの鍋)の店。そこには、彼の気に入った女性がいる。女性といっても50を過ぎている。その彼女にソガリをラブレター代わりに届けるのだ。店は夜遅くまでやっている。
「片思いだよ」。少年のようにはにかみながら、「ソガリ」は夜の闇に消えて行った。