尹東柱56周忌追悼集会に寄せて

鴻農映二

 来る二月十日、五十六年前に福岡刑務所で、獄死した詩人、尹東柱の追悼集会が、同志社大学で開かれる。全国から詩人に思いをよせる人々が集まるが、大学では、これにあわせ、その人たちのために、写真や、序詩、詩碑設立の趣意書、茨木のり子さんのエッセイなどを載せた三十頁のパンフレットを出す予定だ。講演は、訳詩集「天と風と星と詩」の訳者、上野潤氏がおこなう。

 上野氏の案内で人々は、京都市内の尹東柱ゆかりの地を回る予定だ。

 昨年は韓国の延世大学に「尹東柱記念室」(場所はかつて詩人のいた寄宿舎。将来は、スペースを広げ、記念館にする)がオープンしたが、いまや日本国内でもかれを慕う人は多い。東京では、池袋・メトロポリタンプラザ十階で、「尹東柱の故郷をたずねる会」が2年前から、公開講座を開いてきた。私も昨年九月に話をさせていただいた。

 福岡には、「福岡・尹東柱の詩を読む会」がある。尹東柱は、福岡刑務所で息を引き取った。そして京都には、詩人の通った、同志社大学の中に詩碑があり、節目となる年に、追悼のセレモニーがおこなわれる。一方、池袋は、最初、詩人が身を置いた立教大学があるのだ。だから、奇しくも、友縁の地で、それぞれ、尹東柱を偲ぶ行事が続けられているのである。不思議といえば、不思議なことだ。

 さて、池袋の会でわたしは、自分が、二十年前に、尹東柱の死因について韓国の文芸誌「現代文学」に、食塩水注射の人体実験によるものでは? という推論を発表し、それが、当時、話題となったことを話した。その推論を支持する傍証的意見を言ってくれる人らが現れたことも(韓国日報80年9月18日の金萬達医師の証言と、東亜日報80年10月10日の崔道均氏の証言)。

 そして、また、「第二の尹東柱」、或いは、彼の「一卵性双生児」ともいえる詩人が発掘されたことも告げた。

 その名は、沈連洙。尹東柱よりは一歳、年下、育ったのは同じ地方である。沈連洙は日本大学に留学し、帰国して、教員となった。しかし、尹東柱と同じように、解放を前にした八月八日、詳細は不明だが敗戦のどさくさにまぎれ、日本軍の手によって殺されたと見られるのである。歴史に「もし」はタブーだが、私は、ずっと、もし、尹東柱が、留学に固執せずさっさと国に帰り、教員になっていたらどうなったか? 長生きしたか? 気になっていた。それが、沈連洙の出現で答えが出た思いがした。故郷に帰っても、やはり、殺されていたろう。

 沈連洙の原稿は、弟の手によって瓶の中に隠され、土中に埋められ、保存されてきた。弟(沈浩洙)も、もう、七十八歳。いま出さないと、永遠に埋もれてしまうと、出版社に持ち込んだようだ。幸い、原稿は、シリーズ「二十世紀中国朝鮮族文学資料集」第一巻として、陽の目を見た。

 保存されていたのは、詩三百編、一年分の日記、紀行文一編、評論一編、手紙二百通、雑誌掲載作五編である。日本大学の学生証の写真は、尹東柱と似た雰囲気の坊主頭である。学生帽をかぶった写真もある。これも、尹東柱の顔に似て優しそうな微笑をたたえている。

 こういう若くて、純粋な青年たちを、ファシズムは、抹殺してしまった。もう二度と悲劇は繰り返してならない。会の出席者たちと、そういう気持ちが、通じ合った。

 <筆者紹介>  こうの・えいじ 文芸評論家。1952年愛媛県生まれ。韓国・東国大学大学院韓国文学科修士課程修了。帰国後、拓殖大学で韓国語講師。編訳に「韓国古典文学選」。

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