巨済島・恐怖の船旅

大西憲一

 最近の新聞に、釜山と巨済島を長大橋と海底トンネルで結ぶ計画が進行中と報道されている。この道路が完成すると現在の陸路二時間十分の距離が、何と四十分に短縮されるという。

 巨済島は釜山の南西にある、韓国では済州島に次いで大きな島で、金泳三前大統領の出身地として名高いが造船所の島としても有名で、私にも釜山時代の思い出が一杯詰まった島である。

 ただ問題は島までのアクセスで、高速ボートなら一時間で行くが天候が悪いとすぐ欠航し、陸路だとまだ高速道路がない時で山道をくねくねと三時間半の長旅だった。ただタクシーを利用すると現代自動車のポニーが神風タクシーよろしく猛スピードでぶっ飛ばして二時間半で行けたが、同時に交通事故と背中合わせのスリルを満喫できた。途中、道路端に横転している車を必ず二、三台は見かけたものだ。

 いまでも韓国タクシーのスピード運転は悪名高いが当時はまさに命懸けであった。他商社の所長さんが乗用車ごとバスの下敷きになるという悲惨な事故もあったが、我ながら四年間よく生き長らえたものと感心している。巨済島には長距離専門のタクシーがいるが、一説には十年間に運転手全員が入れ替わると言われていた。つまり全員が交通事故の犠牲になるという恐ろしい話である。

 海上を走る高速ボートの場合は事故は少ないが、それでも当時は一年に一回くらい海難事故が起こっていた。海の場合は悪天候が恐い。

 その日も島での仕事を済ませた午後になってから風雨が強まり、高速ボートは欠航となったが、スピードは遅いが高速ボートより一回り大きい連絡船は運転を強行したので、同行したオランダ人と共に乗船した。早速釜山までの船旅をエンジョイすべくカンビールを傾けながら商談の成果を話し始めたが想像以上に波の高いのが気になった。

 出航してから十数分後、船が外海に出るや否やいきなり持っていたカンビールがこぼれる位の大きな揺れ、続いて船底を突き上げるような強烈な波の衝撃が襲って来た。さらに続く横揺れ、縦揺れ。いつもはユーモアたっぷりのオランダ人も顔面蒼白になった。彼は船の専門家だけにこの揺れが尋常でないことがわかっている。しまった、無理に乗るんではなかったと悔やんでも後の祭り。

 前の席で楽しく語らって若いカップルは、しっかり抱き合ったまま恐怖に耐えている。「波はどれくらい?」不安げな乗客の質問に係員は「たった五メートルだ」。冗談じゃない。素人の私でもこの小舟で五メートルの波とくれば危険な事ぐらい分かる。それにこの船は相当古く、揺れるたびにギシギシと不気味な音を立て出した。

 恐る恐る甲板を覗くと、灰色の海は白い牙をむいて怒り狂っている。小さな船はまるで木の葉のように波の上になったり下になったり。いつか映画見たような光景を目の当たりにして、小心な私はあわてて船室に引き返した。オランダ人は相変わらず無言の行。

 小生もいよいよ覚悟を決める時が来たかと、過ぎし日の満たされぬ人生に思いを馳せようとした時、突然、波間をぬって聞こえてきた歌声。それは吠え続ける海に負けまいとする、どなるような合唱であった。一瞬、事の成り行きがわからず声の行方を辿っていくと、学生とおぼしき若者数人が波に洗われる甲板上で肩を組んで歌っていた。頭から波しぶきを受けながら休みなく歌う若者たちの歌声は、甲板を荒い船底を打ちつける波の音と奇妙なハーモニーを醸して、船室で脅えている乗客に不思議な安心感を与えたのであった。

 若者達の歌声に合わせて乗客の何人かが歌い出した。そしていつしか乗客全員が歌い出した。私も言葉はよく分からないままメロディーを追いながら、乗客全員で荒波と闘うという一体感から心なしか恐怖が薄れていくのを感じた。嵐の中で一時間半、天は歌い続ける我々を見捨てず無事釜山に到着したが、何事もなかったかのように下船していく若者達の背に、韓国人の力強い明日を感じたものだった。

 <筆者紹介>  おおにし・けんいち 1943年福井県生まれ。83|87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、今年7月から新・韓国日商岩井理事。

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