「母」という字に「鬼」は似合わない

鄭煥麒(ちょん ふぁんぎ)

このところ新聞を開くと憂鬱な記事に接することが多い。

四十歳代の母親が実の子を保険金欲しさに薬殺した最近の事件や、子どもを海岸から突き落とし水死さ せた昨年の事件など、鬼畜にも劣る母親が相次いで登場した。父性と違って、母性には優しさとか愛と かが詰まっているイメージがあるだけに、社会的な注目度は高く衝撃も大きい。

あまりにも残虐な鬼のような行いを平気でする、そのような母親に当てはまる言葉、的確な呼び方はな いかと思い、辞書を引いてみたが、「鬼母」という言葉は見当たらない。「鬼婆」なら載っている。

この「鬼婆」という言葉は子どものころ、親や大人からよく脅かし文句に聞かされていたものだ。「悪 いことをすると、恐い鬼婆がきてお前をさらっていってしまうよ」といったぐあいである。この「鬼婆」 は戒めに使われていた。「母」という言葉の前にも後ろにも「鬼」という文字は付きにくい。本来なら 絶対に付いてはならないと思う。「鬼母」は私の造語になるが、あえてこの言葉を使わせていただく。 四十歳代のその母親には数人の男友だちがいて、保険金は彼らとの遊興費に使われていたようだ。

こんな痛ましい事件もあった。家計を助けるために高校進学をあきらめ、新聞配達のアルバイトをして 毎月十万円を稼ぎ、そのうちの五万円を言えに入れるという少年が、母親の借金に思い余ってその母親 をバットで殴り殺した。少年は増え続ける母親の借金が心配で、訪ねたこともない母親の実家にまで出 向き相談したという。母親は借金の理由をいくら問いただしても、一向に明かしてはくれなかったらし い。新聞報道で詳細を知るには限界あるが、この母親も四十代であった。

親の子殺し、子の親殺し。なんとも殺伐とした言葉であり、風景である。

こうした昨今の社会にあって、「十七歳」というのが新たなキーワードになった。周知のように、岡山 バット殺人事件や佐賀バスハイジャック事件など、十七歳の少年による凶悪犯罪が相次いだからだ。十 代後半といえば少年、少女が大人になるために悩みに悩む時期である。

「母性」といい「十七歳」というと、思い出すことがある。私は四年程前に、書き留めていたエッセイ を「在日彩々」という上下二冊の本にまとめた。その中に、十七年も手塩にかけた「わが子」が赤の他 人の子であったという、韓国で実際にあった事件を題材にした「生みの母と育ての親」という一遍があ る。古くて常に新しいテーマであっただけに、読者から様々な反響があった。

分娩室で他人の息子と取り違えられた事実を知ってしまった母親は、執念の鬼となって自分の腹を痛め た「わが子」を捜し出した。しかし苦悩はかえって深まった。息子を交換すべきなのか、すれがお互い の幸せなのか。実子を取り戻すことは、育てた息子を失いかねず、場合によっては二人とも失う。

夫は交換に反対した。何も知らないあいての子を「わが子」として平穏に暮らそう、この苦痛は夫婦二 人のなかに閉じ込めよう、と妻に説いた。しかし妻は、生みの子を忘れ難く、しかもその子が貧しい暮 らしを強いられているとあって、涙の日々が続いた。これが事件の概要である。

私ならどうするか。随分と考えたあげくの結論はこうだった。それぞれの息子の肉体は他人でも精神は おやが育んできたものだ。かといって、血は重く生みの子に情があるのもごく自然である。しかし、子 どもは物ではなく、交換して済む問題ではない。起きてしまったら一刻も早く両夫婦は息子二人を交え ての話し合いをもち、大きな親の愛もって十七歳の息子たちの気持ちを大切にし、彼らの幸せを第一に 考え自ら選択させるべきである。

私がここで最も言いたかったのは、十七年という歳月は単に流れ去ったのではなく、親子の情愛を誰か が何と言おうと断ち切ることができないものに育んだ、貴重な時間だったということである。

言い古された言葉に「母親の子どもにたいする愛情は山よりも高く生みよりも深い」というのがある。 よく「母性本能」と言われるが、しかしこの本能は当初から備わっているのではなく、こどもとのかか わりのなかで育まれるものだ。

複雑多伎な現代社会では、個々の生活や行動は千差万別で、自分の好みをもってあれこれ批判する気持 ちはわたしには毛頭ない。しかし、多感な少年少女をもつ親は、今少し自らの行動に責任を持ってもら いたい。親の愛情に比べ子どもの親に対する愛情は一割くらいだともいう。親の愛には際限がないのだ。

以前読んだことのある中国の古典に「顔氏家訓」というのがある。五九〇年頃にかかれたものと言われ るが、「感化は上より下に及ぼす」の項目のなかに、父が慈悲に欠ければ子は不孝者になり、兄に思い やりがなければ弟は兄を尊敬せず、夫がでたらめをやればつまは従順ではなくなる、とある。家族とは まさに、与えられるものではなく、創っていくものなのである。

時代は間もなく二十一世紀になる。「顔氏家訓」が書かれて一四〇〇年が過ぎ、科学の進歩には自覚ま しいものがあるが、人の心が科学万能の時代になっても一向に変わることがないのに今更ながら驚くと 同時に、その家訓に示された精神を大切にしたいと思うこの頃である。

アプロ21 10月号から

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