李梅窓の墓を訪ねて

崔 碩義

 私は昨年の五月、余暇を得て全羅北道扶安にある李梅窓の墓を訪ね、薄倖だったこの女流詩人に思いを馳せた。

 全州の市街バスターミナルで、朝食にヘジャングゥを食べたあと、梅窓の墓があるという扶安行きのバスに乗る。 天気の方はあいにく小雨。バスは、見渡す限り広大な湖南平野を西に向かって走る。あちらこちらに松林が点在し、 ニンニク畑が目についた。そのうちに、赤土が剥き出しになった突堤のような「西海岸高速道路」の建設現場を横 切る。全羅道のこのあたりは、高麗時代の昔から穀倉地帯である一方で、過疎の地として放置されてきた歴史があ る。高速道路ができることでこの地域も飛躍的に発展することだろう。

 やがてバスは扶安に着く。タクシーの運転手に、西林公園にある「梅窓詩碑」まで連れていってもらう。そこに、 樹林を背景にして、高さ一八二㎝、幅一〇六㎝の大理石でできた、とても立派な石碑が建っていた。詩碑には、彼 女の代表的な詩調(韓国固有の定形詩)「梨花雨」が刻まれていた。

  雨のごと梨の花散りいく日 手を握り泣きて別れし、秋風に散る葉ながめて 君もまたわれを思うや、 千里離れし身の悲し わびしき夢は行きつ戻りつ

 続いて、奉徳里の共同墓地にある梅窓の墓を訪ねる。その共同墓地は、ずいぶん辺鄙なところで、辺りにはたく さんの土饅頭の墓が散乱していた。やっと、「名媛李梅窓之墓」と刻まれている一基を発見する。墓は意外に小振 りの墓だった。花でも準備してきて供えたらよかったと後悔したが後の祭り。墓前でしばらく神妙に手を合わせ、 黙祷し、そのあとで、墓をバックに記念写真を撮る。

 李梅窓(一五七三~一六一〇年)は扶安の妓生出身の詩人で、梅窓はその号。桂生とも呼ばれた。同じ妓生であ った黄真伊の詩が華麗だとすると、梅窓の詩は女性の哀愁を詠ったものが多く、叙情性においてはどんな中国の女 流詩人に比べても遜色がないだろう。

 扶安に梅窓ありという噂は忽ち千里を飛び、遠くソウルからも梅窓を訪ねてくる風流客が絶えることがなかった。 学者の劉希慶と最も親交が深く、先程の「梨花雨」は、梅窓が劉希慶慕って詠ったもの。三十七歳の若さで死んだ ことが惜しまれる。

 彼女が死んで暫くしてから扶安在住の有志たちが、彼女の詩が散失するのを惜しんで『梅窓集』を編んだ。その おかげで私たちは今も梅窓の詩を鑑賞できるのである。最後に「贈酔客」という詩を紹介する。

贈酔客酒に酔った客に贈る
酔客執羅衫酔客が絹の上着を引っ張った故
羅衫随手裂上着はその手で裂けてしまった
不惜羅衫裂裂けた上着が惜しいのではない
但恐恩情絶ただ、恩情が切れるのを恐れる

 <筆者紹介>

 チェ・ソギ フリーライター。慶尚南道出身。立命館大学文学部卒、朝鮮近代文学専攻。

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