友情について

尹 陽子

 『JSA』を観た。38度線を護る北と南の兵士達の熱く哀しい友情と、それが引き金となって起きてしまう事件を解明していくストーリー。最近、遅ればせながら私なりの韓国映画ブームである。『JSA』は私にとって「トップ オブ ザ 韓国映画」の栄光に輝いている。特に兵士達が紡ぐ友情が心に残る。今までだったらあり得ないシチュエーションの友情である。フィクションにしても、掟破りすぎて、荒唐無稽と感じるのは在日だからだろうか?もしかすると韓国にはこの手の小説はめずらしくないんだろうか?疑問はいっぱいあるけれど、北と南に分かれて、交わることが死を意味するような状況で生まれた友情に何も感じない人はいないはずだ。

 いっしょに観に行った女友達も泣いていた。彼女は日本人なので、私のようにナショナリティというフィルター付きでこの映画を観ていたわけではない。そのうえふだんは仕事ひと筋、男も太刀打ちできないほどシビアな女性社長である。隣りで泣いているのを見て「鬼の目にも涙」と、とっさに思ってしまった私。すいません。

 40代になると、20年来の友人と呼べる人が何人かいる。女友達は独身ばかりである。娘が中学生になって時間的に余裕ができたせいか、いっしょに食事をしたり、映画を観たりする機会が増えた。子連れの旅行もいやがらずつきあってくれた彼女達であるが、最近は昔に戻って大人達だけで集まっている。たまに、老後は共同生活をしようという笑えない話で盛り上がる。そんなときは「オトコの賞味期限は2、3年だけど、女友達の賞味期限は一生だ」としみじみ思う。これは私の持論である。

 にもかかわらず最近、大学時代からの親友とケンカになった。彼女がついた嘘を私が許せなかった、というだけの話である。彼女は、あんな小さな嘘はとるに足らない、そんなことにこだわるよりいままでどおり付き合おうよ、というような意味のことを私にいうが、とてもそんな気になれない。同じ在日で仕事場が近いせいもあって、お互いなんでも包み隠さず、姉妹のように付き合ってきたからこそ、心を許しあえない気がする。正直に言うと、友情なんてほんの些細なことで消えてしまうことに驚くばかりである。

 作家の深沢七郎は「友達は季節の花」だという。移ろいやすく、すぐ散ってしまうという意味だろうか。今回のことで、それが実感できた。だからこそ、こわれやすい友情が長続きすることは神様からのプレゼントのように私は感じる。私にとっての友情とは信じあって、いたわりあって、助け合うことである。血と血を分け合うような友情は映画の中にしかないのかもしれないが、『JSA』がそれを見せてくれる。

<筆者紹介>
 ユン・ヤンジャ 1958年神奈川県生まれの在日3世。和光大学経済学部卒。女性誌記者を経て、91年に広告・出版の企画会社「ZOO・PLANNING」を設立。

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