石宙明

チェ・ソギ

石宙明(1908から50年)といえば、韓国のファーブルといわれる昆虫学者で教科書にも載っている。彼はエスペラントや済州島の研究といった分野でも優れた仕事をした。 石宙明の経歴を見よう。開城の名門松都中学校を経て、鹿児島高等農林学校に入学。在学中、昆虫学に興味を持ち、蝶の研究者になることを決心したという。

 鹿児島高等農林を卒業したあと、母校である松都中学の生物の教師をしながら、蝶の研究に本格的に取り組んだ。彼は国内はもとより北京、蒙古、北海道、樺太に足を運んで60万匹もの蝶の標本を作り、蝶に関する多くの研究論文を書き、学会で発表した。世界鱗翅類学会の正会員に選出されたり、ハーバード大学や英国の「王立アジヤ学会」と標本の交換を行ったのもこの時期である。

 その後、京城帝大医学部付属済州島生薬研究所の所長という職を得て、済州島に赴任。済州島では生薬、昆虫研究という本業の傍ら、この島に魅せられて独特な方言をはじめ、民俗学の研究に情熱を燃やした。これらの人文科学分野の業績は後に『済州島の方言』『済州島の人文と自然』として結実した。

 45年8月の祖国解放のあと、石宙明は国立科学博物館動物研究部長という要職に任命され、また、韓国山岳会の副会長や、韓国エスぺラント協会の指導者としての社会的活動で多忙を極めるようになる。

 ここで、石宙明の功績を一言でいうと、韓半島に生息する蝶の生態を調べ、最終的に248種類に整理分類し、これに韓国名をつけて、世界に知られるようにしたことである。 ちなみに、石宙明の著作、論文はおびただしい数に上るが、主なものとして『韓国産蝶類研究』『韓国産蝶類分布図』『蝶採集20年の回顧録』などを挙げることができる。

 ところが、石宙明の身の上に突然、悲劇が襲った。朝鮮動乱のさなかの1950年の10月6日、まだ無法天地であったソウルの街角で、国防色の服を着た酒に酔っ払った数名の青年たちから「人民軍少佐だろう」と因縁を付けられ射殺されたのであるまだ、42歳という働き盛りであった。何ということを!石宙明の無念もさりながら、この国にとっても測り知れない損失であるのは間違いない。

 私は何故か、蝶の石宙明が好きで、もっと知りたいとかねてから考えていた。また、横死の真相に無関心であるといえばうそになるだろう。そうしたことから94年5月、思い切って檀国大学校の石宙善記念民俗博物館に妹の石宙善女史を訪ねて行った。女史は韓国服装史の権威者として有名な方である。白髪で温顔な女史は、日本からわざわざ訪ねてくれたといってたいへん喜んで下さったことが強く印象に残る。いろんなお話を伺いながら、とても兄思いであるということに感動した。残念なことにその翌年、石宙善女史は亡くなられた。

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