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阿且山城と高句麗、百済,加耶、新羅、倭 |
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313年 |
高句麗が楽浪郡を滅ぼす、百済と新羅を圧迫 |
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371年 |
百済が平壌城を攻め、高句麗王を戦死 |
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372年 |
百済が倭王に七支刀を送る、高句麗に仏教が伝わる |
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384年 |
百済に仏教が伝わる |
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396年 |
高句麗の広開土大王が百済の首都漢城を攻撃 |
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400年 |
高句麗が新羅に侵入した倭を退けるために援軍を送る |
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401年 |
新羅が王族を人質として倭に送る |
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404年 |
高句麗が旧帯方郡周辺に侵攻した倭を撃退 |
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414年 |
高句麗が広開土大王碑を立てる |
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427年 |
高句麗が平壌に遷都 |
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433年 |
百済と新羅が高句麗に対抗するために同盟を結ぶ |
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443年 |
倭が宋に朝貢し倭国王の称呼を受ける |
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461年 |
百済が王子を倭に送る |
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475年 |
高句麗が百済の首都漢城を陥落王を戦死、百済が熊津(公州)に遷都 |
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478年 |
倭王武が南朝に使者を派遣 |
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513年 |
百済が五経博士を倭に送る |
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527年 |
新羅が仏教を公認、倭の筑紫岩井が新羅と内通し反乱を起こす |
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532年 |
新羅が金官加耶(金海)を併合 |
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538年 |
百済が扶余に遷都、倭に仏像と経典を送る |
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562年 |
新羅が大加耶(高霊)を併合 |
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570年 |
高句麗が倭に使者を派遣 |
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588年 |
倭が百済から僧侶、技術者などを招く |
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589年 |
隋が晋を滅ぼし中国を統一、高句麗との対立が激しくなる |
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593年 |
倭で聖徳太子が摂政となる |
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594年 |
高句麗の僧が 聖徳太子の師となる |
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595年 |
倭の飛鳥寺が完成し、高句麗と百済の僧が住む |
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618年 |
唐が隋に代わる、以後各国は遣唐使(高句麗24回、百済25回、新羅178回、日本19回) |
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644年 |
唐が高句麗を攻撃、お互いの対立が激しくなる |
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644年 |
倭蘇我氏が滅ぼされ、大化の改新が行われる |
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660年 |
新羅と唐の連合軍が百済を滅ぼす |
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663年 |
白村江で新羅と唐の連合軍が百済の復興を助けに来た倭の軍勢を破る、倭の緊張高まる |
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668年 |
新羅と唐の連合軍が高句麗を滅ぼす、新羅使来日、倭との緊張緩和図り |
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672年 |
倭で壬申の乱起こる、天武天皇の勝利、新羅との交流重視 |
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676年 |
新羅が唐の軍勢を追い出し韓半島を統一 |
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698年 |
震国(のちの渤海国)が立てられる |
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701年 |
日本で大宝律令が制定される |
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710年 |
日本で平城京に遷都 |
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727年 |
渤海が日本に使者を派遣(渤海は33回、日本は13回)、渤海が滅びる10世紀初まで続く |
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751年 |
新羅で仏国寺を造営 |
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752年 |
日本で東大寺が完成、新羅から安保のために貿易団を引いて金泰廉来日 |
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755年 |
唐で安録山の乱起こる |
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762年 |
日本で渤海と連合して新羅を攻めるために軍事訓練 |
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779年 |
新羅から日本に最後の使者が来る(新羅から20回、日本から17回) |
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794年 |
日本で平安京に遷都 |
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828年 |
張宝高が清海鎮を設置、東北アジア貿易を牛耳する |
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838年 |
日本僧円仁の渡唐留学(入唐求法巡礼行紀) |
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841年 |
張宝高が死去、日本が新羅の商人の入国を制限 |
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870年 |
日本の大宰府の役人が新羅に通じ、両国の関係が緊張状態になる |
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894年 |
日本が遣唐使の派遣を中止 |
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各国の勢力争いに従ってお互いに合従連衡を繰り返す。特に韓半島の諸国と日本との関係は中国と日本との関係より重要である |
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各国は中国の王朝に朝貢使を派遣し、お互いにも使節を派遣する。その過程で相手を見下ろす小中華意識が表れる |
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お互いに人の交流に伴って文化が伝わる。特に勢力争いで追い込まれた時期の韓半島(百済、加耶、高句麗)から日本への移住民の活躍が目立つ |
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お互いの戦いと交流の中で東アジアの世界と文化が形成される。特に韓半島は勢力争いの焦点であり文化交流の要でもある |
2. 忘憂里墓域と韓日関係
浅川巧(1891.1−1931.1)について |
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山梨県生まれ、朝鮮に渡り朝鮮総督府農商工部山林課雇員になる(14)、輸移入樹種の養苗試験に従事、 兄伯教と柳宗悦などと朝鮮の陶器などの調査および収集、朝鮮民族美術館開館(24)、朝鮮工芸会発足(28)、『朝鮮の膳』出版(29)、、『朝鮮陶磁名考』著述(31)、急性肺炎でなくなり里門里の朝鮮人墓地に葬られる(31)、 里門里から忘憂里への移葬(42)、在日本韓国YMCAが「愛と誠実を朝鮮の人々に捧げた日本人に感謝するつどい」主催(55)、 韓国林業試験場の人々によってお墓が修復される(64)、 韓国林業試験場職員一同によって「淺川巧功徳碑」が建てられる(66) |
| 池錫永(1885−1935)について |
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ソウル生まれ、修信使の随行員として日本へいって種痘法を学んで普及(80)、『牛痘新説』刊行、東莱府使、京城医学校校長、国文研究にも励み『字典釈要』刊行 |
| 方定フアン(1899−1931)について |
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ソウル生まれ、少年立志会組織(08)、青年具楽部結成(17)、3・1独立万歳運動で逮捕(19)、日本留学(20、東洋大学)、少年運動展開、こどもの日制定(22)、『小波全集』刊行(40)、独立有功者建国褒章(80) |
韓竜雲(1879.8−1944.6)について |
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忠清南道生まれ、出家(96)、日本訪問(08、曹洞宗)、『朝鮮仏教維新論』著述(10)、3・1独立万歳運動を指導し監獄へ(19)、 仏教運動と民族運動を続ける、『二ムの沈黙』刊行(26)、尋牛荘に移居(33)、忘憂里共同墓地に葬られる(44)、大韓民国建国功労勲章(62)、『韓竜雲全集』刊行(73) |
文一平(1888−1939)について |
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平安北道生まれ、日本留学(10、早稲田大学)、教師、記者、歴史と民俗研究、『朝鮮史話』『湖岩全集』刊行 |
趙奉岩(1898−1959.7)について |
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京畿道生まれ、3・1独立万歳運動を指導し監獄へ(19)、日本留学(中央大学)、朝鮮共産党幹部(25)、ソビエト留学(モスコバ)、上海で日警察に逮捕され監獄へ(32)、李承晩大統領の下で農林部長官として農地改革(50)、進歩党の大統領候補で李承晩と闘い(56)、スパイの疑いで処刑される |
張徳寿(1895−1947.12)について |
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黄海道生まれ、日本留学(16、早稲田大学)、上海で独立運動、日本警察に逮捕される、東亜日報主筆、アメリカとイギリスに留学、普成専門学校教授、戦時期に対日協力活動、韓国民主党政治部長のとき暗殺される |